報奨金制度の提案に起因する、Debian開発者の活動意欲に関する論争

現在、自らをDunc-Tankと名乗る開発者たちの集団が、特定のプロジェクトを完成させたDebian開発者に対して金銭的な報酬を支払うための準備を進めている。こうしたDunc-Tankによる活動の第一目的は、Debianの次期バージョンをスケジュールどおりにリリースさせることにあるのは分かるとしても、このアナウンスについて懸念されるのは、以前にもプライベートな議論として取り上げられたことのある問題、つまり「従来は個人的な動機から仕事を進めてきたフリーソフトウェア開発者に対し、唐突に金銭的な報酬が与えられるような事態になったらどうなるか」というものである。

Dunc-Tankが最初に発表したニュースリリースによると、この組織は一種の“実験”団体であり、「開発者とユーザおよびDebianのサポータをメンバとする独立団体」であるとのことだ。実際Dunc-Tankには、Debian開発者の間でも特に活動的で、この分野では広く名が知られた者が参加している。前述のニュースリリースを見てみると、Debian Leaderを努めるAnthony Towns氏とそのアシスタントであるSteve McIntyre氏の両者が名を連ねている他、各種のサポータおよび、Raphaël Hertzog氏、Joey Hess氏、Ted Ts’o氏など、Debianプロジェクトではお馴染みの顔ぶれを確認することができる。なおTs’o氏は、古くからのカーネル開発者としても知られている1人だ。

皮肉な見方をすれば、所詮Dunc-Tankとは、Debianという事業を非公式な手法で継続させるためのものではないか、ということになるかもしれないが、この団体の説明文を読む限り、これらのメンバは自発的に参加しているのであり、このプロジェクト内部でも意見の統一がなされている訳でもないことが分かる。

Dunc-Tankの活動における第一の目的として挙げられているのは、Debianのリリースマネージャ2名に対して報酬を支払うことである。そのプランによると、10月一杯をSteve Langasek氏、11月一杯をAndreas Barth氏を雇用する形で、両者にはフルタイムで作業に専念してもらうことになる。実際Ts’o氏によると、このプランどおりにLangasek氏を確保する準備は、かなりの所まで進んでいるそうだ。

こうした第一目的は、主として実用上の観点から選ばれたものである。Hertzog氏は、一部の開発者は、Debianメインリポジトリにおけるフリーでないファームウェアに関する問題の解決プロジェクトを要望しているが、Dunc-Tankのメンバの見解としては、リリース予定を遵守させる方がDebian開発者の大多数にとって重要であると見ていると述べている。Hertzog氏によると、リリースまでに解決すべきクリティカルなバグは200個以上も残されており、今回のDunc-Tankのような思い切った手段を講じない限り、リリース期限をDebianが守ることはできないだろうとのことだ。「プロジェクト関係者の大半が望んでいるのは、予定どおりにリリースされることです」とHertzog氏は主張する。

その他にDunc-Tankが目的としている課題は、遅いことで定評のあるDebianのリリースサイクルを何とかすることだ。こうした遅延が生じることは、Debianが複数のハードウェアアーキテクチャをサポートしている関係上、ある程度は不可避な要素でもあるが、その緩和策については、Debianプロジェクトの発足当時から様々な論争が繰り広げられてきている。例えば最近の動向を見てみると、Debianは、各ハードウェア移植が達成せねばならない規則を定めたり、多数のアシスタントを補充してリリースマネージャの率いるチームの増強を図っているが、いずれにせよ先の問題を本質的に解決するものでない以上、こうした懸念が払拭されないのも確かだ。

こうしたDunc-Tankの報奨金だが、現状では、実際に金庫に積み上げられている訳ではない。「資金の確保と配布に関する正式な制度化が先送りにされているため、私どもも資金提供者の方々による入金は今のところ要求しておりません」とTs’o氏は語る。「できるだけ早急に実行できるようになれば、幸いなのですが」。

Dunc-Tankに関する検討は、Debianへの献金も扱っている非営利組織Software in the Public Interestが10月に開催する会議の討議予定に組み込まれている。

意欲を支える内的要因と外的要因

Dunc-Tankの活動理念については、同団体についてのアナウンスがされたその日から、様々な反論が寄せられている。例えばその1つは、Debian開発者の1人であるLucas Nussbaum氏が自身のブログに掲載し、その後多数のディスカッショングループで取り上げられた記事であるが、これはGNOMEのメンバであるLuis Villa氏の調査結果を引用したもので、その内容は、プロジェクトの「有志のボランティア参加者に対して報奨金を支払うようになると、全体的な活動意欲を低下させることが往々にしてある」というものであった。

同氏がブログに掲載した内容によると、Villa氏がまとめた報告とは、メンバの参加動機を「自らが持つ内因的な善意(つまり金銭以外の報酬)」とするボランティア参加型の活動グループにおいて報奨金制度を導入した場合に生じうる問題を、オンライン上で調査した結果である。その中で典型例として取り上げられているのは、イスラエルにおけるデイケアセンタにて子供の迎え時間に遅刻した保護者への罰金制度を導入したところ、そうした遅刻件数が導入後に増加したという事例である。結局この罰金制度は廃止されたのだが、廃止後も遅刻者数は導入以前のレベルには低下しきらなかった、とのことだ。こうした事例が生じる背景には、金銭的な授受を伴う制度を導入すると「自由な意志による自発的な決定という感覚」や「他者の手助けをしたいという意欲や、そこから得られる喜び」というボランティア協力者の士気を低下させるという理由があるよう思われる。

Villa氏がNewsForgeに語ったところでは、「私個人がこうした結論につながる体験を、GNOME関連の活動において遭遇した訳ではありません」ということであり、つまり同氏のブログ記事はあくまで学術的な目的で行われたものであって、何らかの特定の行動を促すものではないということだ。その一方で先のNussbaum氏によるVilla氏の調査結果の引用は、単にDunc-Tankだけではなく、Googleが実施したSummer of CodeおよびGNOMEの Women’s Summer Outreach Programというフリーソフトウェア開発者に対する報奨金プログラムに対して疑問を提示する、という流れの中で扱われている。

こうしたNussbaum氏のコメントは事態を単純化しすぎていると捉えているのがTs’o氏であり、その反例として、チャリティ活動の中には、無償参加型のボランティアと雇用者形態の有償参加者が混在しているところが多く存在することおよび、一般に後者のタイプの参加者は、通常の労働に従事した場合よりも少ない賃金で働いているということを取り上げている。「仮に、すべての人間にとって金銭的な報酬が一番大切というのであれば、おそらく誰もDunc-Tankからの基金を受け取りはしないでしょうね。それであるなら、より高額の報酬を得られる可能性のあるGoogleで仕事をする方がいいでしょうし、あるいはMicrosoftという手もあるでしょう」と同氏は語っている。

またTs’o氏は、同氏の15年に及ぶカーネル開発の経験から「それだけではなく、現在ではコアカーネルの開発者の大部分はボランティア活動者から賃金労働者に移行しており、私の体験からしても、こうした変化に対してLinuxのカーネルコミュニティで何らかの反対運動が生じたことはないと認識しています」とも語っている。

Hertzog氏は「何らかの問題が生じる可能性があることは、私たちも心得ております」とする一方で、金銭的な報酬制度を導入することはDebian開発者の間に意欲の向上をもたらすであろうことを示唆している。同氏は「多くのDebian開発者にとって、作業に対する意欲が感じられるのは、状況が動き出したときです」と語ることで、プロジェクトのリリースサイクルが長期化することに多くの人間が不満を感じている点を指摘し、「(スケジュールどおりに)12月にリリースすることは、私たちも含めたすべての人々にとって最大の報酬となることは間違いありません。予定どおりにリリースしつつも、従来どおりの品質を保つことは可能だということを、是非とも証明したいですね」としている。

将来的な動向

Hertzog氏は、今回のリリースマネージャに対する報奨金案を「最初の実験」と表現している。そしてこの実験の終了後のことであるが、Ts’o氏の示唆するところでは、開発者に対する報奨金制度というコンセプトの成否を審査するのは、Dunc-Tankの審議会およびサポータが最適な立場に立つだろうということだ。

既にHertzog氏は、報奨金制度下でDunc-Tankを運営していく上での方針作成に着手している。「この方式はすべてのDebian開発者に関係することになるでしょうし、あるいは最低でもこれらの人々が参加する機会を増やすことになるはずです」と同氏は語る。またHertzog氏は、現状で議論され尽くした訳でもなく、Dunc-Tank内部での賛同者も少なく、Debianコミュニティ全体での承認を得た訳でもないと前置きしつつ、同氏が現在構想しているものとして、Debian開発者が基金ベースのプロジェクト活動を提案するためのwikiを設立する考えがあると説明した。そこでは、どのプロジェクトに資金を与えるかを、寄付金の提供者が選択するか、あるいはすべてのDebian開発者に投票件を与える形で決められることになるだろう。

その他にHertzog氏が構想しているものとしては、提案される内容が現実的なものとなるための指針を設けることがあり、また可能であればDebian開発者の互選による審議会を設立して、将来的に生じるであろう、プロジェクト中断時の処置や過去にフリー形式で運営されていたプロジェクトに対する資金割り当てなどの問題に対処することを考えているとのことだ。またTs’o氏によると、Dunc-Tanksにおける活動指針を改正し、現行の審議会メンバ間による合議制を廃して“正式な内規”を定めることもあり得るという。

これらはどれも野心的なプランであるが、Hertzog氏自身も、当座は待ちの時期であることを自覚しているという。いずれにせよ現状におけるDunc-Tankの目標は、最初の実験に成功することである。同氏によると、これが終了して初めて「Debian内部での討論が継続されることになり、この実験についての議論の中に現実を反映した要素が取り込まれ、より理性的な意見を交換できるようになるはずです。逆に言えばそれが行われない限り、Lucas Nussbaum氏がブログで言及していた事例のように、各自がそれぞれの主張を裏付ける学術的な研究を担ぎ出すことに始終するだけであって、そんな文章を読み上げ続けているだけで何らかの結論に到達できる訳がないのです」ということになる。

Bruce Byfieldは、コースデザイナ兼インストラクタ。またコンピュータジャーナリストとしても活躍しており、NewsForge、Linux.com、IT Manager’s Journalに定期的に寄稿している。

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