MicrosoftとNovellに、UbuntuまでもがAppleとDebianを後押し

はじめに――NovellとMicrosoftの提携については山ほど報道されている。要するに、Microsoftの顧客がNovellからLinuxを購入し自社のIT環境で使っても特許権侵害で訴えられる心配はなくなるということのようだ。ところが、世上の論評に対して、Novellは、今回の提携は批判されているような内容ではないとする公開書簡をCEO名で発表。しかし、Microsoftの声明によれば、その主張を額面どおりに受け取ることはできない、あるいは、間違いがあることになる。ともかく、何か問題があるようだ。こうした混乱に拍車をかけたのがMark Shuttleworth(Ubuntuの創設者)だ。Microsoftとの提携を嫌ってNovellと袂を分かちたいopenSUSE開発者にMicrosoftとは隔絶された場の提供を申し出たのだ。混迷の度は深まるばかり。こうした状況に、人はいざ知らず、私はDebianこそが私の使うべきGNU/Linuxディストリビューションであり、現在Linuxとフリーソフトウェアでは処理できない若干の作業はMac OSで行うべきだと思い始めた――

以前、私はSUSE Linuxを使っていたが、今はUbuntuを使っている。我が友Loganに言わせれば、Ubuntuは「『Debianを設定できないほどのバカ』という意味のスワヒリ語だ」そうだが、私はUbuntuに満足している。

Linuxディストリビューション上でやりたいことは何でもできるし、自動化されていて(automatix)ほとんど手を煩わされることがない。我がUbuntu搭載コンピュータ(ThinkPad T43)を開くだけで「それは当然のごとく動く」。基本のUbuntuディストリビューションにはプロプライエタリ・ドライバー(多くはグラフィックス用)が含まれているが、私は気にならない。もちろん、それを不満に思う人がいることは承知しているが、ソフトウェア・ライセンスに関する考え方を理由に特定のディストリビューションから締め出してはならないと私は思うのだ。

NovellがMicrosoftにすり寄ったことは、私も人並みに気がかりに思う。かの獅子に近づいて無傷のままで戻れるソフトウェア企業は多くはない。おそらく、Novellはそうした企業の一つなのだろう。しかし、捕食者と獲物の競争に賭をするなら、私は捕食者の方に賭ける。私を愚か者と呼んでも、現実主義者と呼んでもいい。どう呼ばれようと私は構わない――いつの日かNovellの製品にMicrosoftのロゴがこれ見よがしに貼られ(Microsoft流の利用制限が課され)ることになっても、Novell製品を使っていなければ、Novellとは何の関係もないのだから。と考えるうちに、毎日愛用しているUbuntuでさえ、完全フリーソフトウェアではないことが気になってきた。Debianに乗り換える潮時かもしれない。設定はLoganが手伝ってくれるだろう。

問題点

Debianに日常必要なソフトウェアがすべて揃っているなら、補助的にプロプライエタリ・プラットフォームを検討する必要などない。私の場合、8年間はフリーソフトウェアだけで十分だった。しかし、その後ビデオの編集を始めると事情は変わった。低予算ビデオ、乱造される産業用ビデオ、ドキュメンタリー、研修ビデオの制作なら、Linuxやフリーソフトウェアのビデオ編集ツールで十分だ、などという意見は、実際にフリーソフトウェアのツールやLinuxベースのプロプライエタリ・ツールを使ってビデオを編集したことなどろくにない者の言い種だ。さらに、高精細ビデオともなれば、家庭や小規模企業用ワークステーションで使えるフリーまたはLinuxベースのビデオ編集ソフトウェアは皆無なのだ。プロプライエタリ・ソフトウェアを使ってもよい唯一のケースはその作業に使えるフリーソフトウェアがない場合だと、Richard M. Stallmanその人が述べている。好むと好まざるとに拘わらず(私は「好まざる」の口だが)、私はその唯一許容される状況に置かれているのだ。

いつか、フリー(少なくともオープンソース)で使いものになるビデオ編集ソフトウェアが登場するだろうし、そうなれば使うだろう。しかし、納期が来週に迫っているビデオ・プロジェクトが2本ある私にとって、「来週」が「いつか」でないことは確かである。

白状しよう。私は、Windowsソフトウェアを使ってビデオを編集している。中でも、Magix Movie Edit Proを多用している。MicrosoftファンだからWindowsを使っているのではない。かつて純Linuxだったx86デスクトップとノートにWindowsパーティション追加しビデオ編集用ワークステーションにするのに、大枚を叩く必要がなかったからだ。

しかし、MicrosoftとNovellが(少なくとも部分的には)好ましからざることを企み、それがGNU/Linuxの普及とフリーソフトウェアの発展を阻害するかもしれないという状況にある今、この判断は間違っていたのではないかと私は思い始めている。

有り体に言えば、誤った選択であることは始めからわかっていた。しかし、私は「安き」に付いたのだ。ビデオ編集では、Mac OSはWindowsよりも多くの点で優れている。それではコストはどうか。Linuxユーザーの価格感にほだされて私はこう考えた。「ふむ、最新でフル機能を備え高精細ビデオが扱えるWindows用編集ソフトウェアに必要なハードウェアは揃っている。手持ちのMacは旧型のG4だけ。Final Cut Proの古い2世代を高速で動かす力はないし、最新バージョンに必要な最低システム要件を満たすのはほとんど不可能だ」と。

そして、Final Cut Express――私が必要とする最低クラスのMacビデオ編集ソフトウェア――でも、300ドルの値が付いているのだ。

時流に棹さす

MicrosoftがLinuxで何かを仕掛けようとしているのは明らかだ。それが何なのかはわからないが、過去の例から好ましからざることに違いない。Novellがそれに一枚噛むかもしれないし噛まないかもしれない。また、巣窟で野獣とまみえるという試みに成功するかもしれないし失敗するかもしれない。ともあれ、それは私の行くべき道ではない。Ubuntuについてはまだ何とも言えない。ともあれ、我がコンピュータはLinux 100% フリーでありたいところだが、一方でWindowsとプロプライエタリ・ソフトウェアが道理に反して幅を利かしている世界――それが現実だ――においてもフル装備でありたい。だから、UbuntuからDebianに乗り換えることはないだろう。そうしたいのは山々なのだが。

しかし、条件が整えばビデオ編集をWindowsからMacに切り替えるつもりはある。お気楽で言っているのではない。「条件が整えば」というのは、極めて重い言葉なのだ。なぜなら、Macノートを使って、現在ThinkPadで使っているMovie Edit Proと同程度の速さでビデオをレンダリングしようとすれば、最小構成でも確実に1500ドルにもなるのだから。

さてもさても。金があってもなくても、Microsoft-Novell-Ubuntuの泥仕合を眺めていると、めぼしい候補者のいない選挙を前に思案に暮れる有権者のような気分になる。どの候補者も敵陣営をあげつらうばかりで、自らの政策を訴える候補者のいない選挙だ。

通常の選挙には「その他」という選択肢はない。しかし、このMicrosoft-Novell-Ubuntu非難合戦では、そのうちの2つには「その他」の選択肢がある。MacとDebianだ。そして、金額の点を除けば、私はMac+Debianに次第に傾きつつある。それだけが、この争いを抜けてコンピュータを平穏に使う道なのだ。

お断り:NovellでもUbuntuでもないGNU/Linuxは(もちろん)Debianだけではない。しかし、私はずっとAPTパッケージ・マネージャーとそのSynaptic GUIを使ってきたので、これを手放したくないのだ。これは全くもって個人的な好みの問題であり、自分の使用条件における好みのツールを人に押しつけるつもりはない。

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