Magnatune: さほど強欲な会社ではありません

Magnatuneは「強欲な会社ではありません」を標榜するインターネット・レコード会社で、ビジネス・モデルに、いわゆる「オープン・ミュージック」の理念を掲げている。

営利目的でないご利用の場合は、弊社の音楽とその「ソースコード」を無料でご利用いただけます。弊社の音楽で利益を得た場合は(営利目的の場合)、「その利益を」弊社および弊社のアーティストに「分配」していただきます。

Magnatuneでは、すべての曲をMP3形式によりCreative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlikeライセンスの下で提供している。Creative Commons Projectによるこのライセンスでは「権利の一部が留保されている」。すなわち、曲を営利目的(Creative Commonsは「営利」を非常に広く定義している)に使う場合は、Magnatuneからそのためのライセンスを購入しなければならないのだ。まず「肌理の粗い」MP3バージョンを提供し、高品質のファイルが欲しければ対価を払え、という仕掛けである。

しかし、この仕組みを不当だと非難する人はほとんどいまい。扱っているのはアート作品であって、ソフトウェアのように実利に直接結びつくものではない。したがって、利用の制約が意味するところは、両者では自ずと異なるからだ。ソフトウェアは「言論と同様の自由」を保障されるべきだと声高に言い立てる人でさえ、アート作品に関しては、ほとんどの場合、完全な自由も完全な統制も望ましくないことを認めるだろう。

ここにある音楽を使って利益を得たら、その利益をミュージシャンと分かち合わなければなりません。ただし、(CCライセンスが規定する)非営利目的の場合は無料でご利用いただけます――John Buckman(Magnatune)。2003-09-21から
誰もが自分の大好きな音楽を共有したいと思っているし、共有は以前よりも容易になった。そして、共有は窃盗でも海賊行為でもなく、振興活動なのだ。Magnatuneは、こうしたことに「理解ある」レコード会社だった。21世紀に相応しい音楽ビジネスの姿。すなわち曲の流通と再利用を独占的に管理するのではなく、商用利用に曲を提供しこれを規制することで収益を得る企業だった。

試演と同様の無償提供

数週間前のことだ。私は、Magnatuneで大好きなミュージシャンの新しいアルバムを見つけて、嬉しくなってしまった。いそいそとダウンロードし、totemを立ち上げて、BGMを仕掛ける。そして、その日の仕事に取りかかった。しばらくして、アルバムの1曲目が終わると合成音声が流れた。「Magnatune.comが提供したxxxxのアルバムxxxxの1曲目でした」

私はニヤッと笑って「おや、ロボットのような80年代風合成音声だ。革新的な所属レコード会社にご挨拶とシャレたってわけだ」と思ったものだ。ところが、同じ合成音声が2曲目の終わりにも流れたとき、私の笑みは凍り付いた。そして、他のアーティストのアルバムを調べていくうちに、怒りがふつふつと湧いてきた。ダウンロードしたすべてのMP3ファイルの終わりに同様のメッセージが付加されていたのだ。思い出せば、かつても同じようなメッセージをよく受け取ったものだった。それは、GPLを見いだす前の、暗黒の時代のことだ。私が使っていたソフトウェアは、どれもこれも、まるでそのためにあるとでもいうように試用期間が終わっていることを繰り返し私に告げたものだ。Magnatuneは「音楽用小言ウェアソフト」を配布した世界初の企業だろう。

経済的に恵まれない愛用者の一人である私は、Magnatuneに一銭も支払ったことはない。しかし、著作権についての話題はよく話しまた書いている。そして、いつも決まってCreative CommonsプロジェクトやMagnatuneを引き合いに出してきた。また、商売ではなく自腹を切って「無償の文化資産」を編集してCDを作ったし、折に触れ贈り物にもしてきた。その中にはMagnatuneのアーティストによる曲だけでなく、MagnatuneのWebサイトへのハイパーリンクも含まれている。私のそうした活動を通してMagnatuneの存在を知ったミュージシャンは一人や二人ではない。そして、何よりも重要な点は、私と音楽を愛する友人たちとがMagnatuneの曲を共有してきたことだ。これは、一人、私だけのことではない。同じ様に、多くの人々がMagnatuneの成功を後押ししてきたのである。

しかるに、私たちの愛する音楽、私たちの応援する音楽は、今、この私たちを無銭飲食をしているかのように扱っているのだ。

弊社の音楽をご愛用いただいている方は沢山いらっしゃいます。しかし、残念なことに、ほとんどの方の場合、それがご購入に結びつくことは滅多にありません。それでも運営できればとは思いますが、率直に申し上げて、これではやっていけないのです――John Buckman。2005-10-27から
通信費が問題

Magnatuneの創設者John Buckmanは、同社のフォーラムに意見を寄せ、その中で、小言幸兵衛機能を付けた理由を次のように説明している。大概のメディア・プレーヤーは再生中に曲のタイトルや演奏家あるいは提供元を表示しない。そのため、曲を聴いた利用者がCDや商用ライセンスを購入しようと思ってもMagnatuneに連絡のしようがない。また、Magnatuneの販売方法はそもそも「試聴してから購入」だというのである。

思慮ある人なら、こうした言い訳では納得しないだろう。「試聴してから購入」という文句がMagnatuneのWebサイトに目立つように掲げられているのは確かだ。しかし、その同じWebサイトでも報道発表でもインタビューでも、商用利用でなければ何度聴いても支払いの必要はないとMagnatuneは明言してきたのも事実なのだ。

Buckmanは通信費についても触れている。これは、その後フォーラムでも議論された問題だが、利用者がMagnatuneの音楽を聴く方法によって大きな違いが生まれるというのである。Magnatuneの歌を聴くには、その度にダウンロードする(Magnatuneは「ストリーミング」と呼んでいるが、実際には、単にMagnatuneのサーバーからHTTPを使って従来型のダウンロードをしているだけ)方法と、一旦ダウンロードしてローカルに保存したファイルあるいは他の手段(P2Pファイル共有など)で入手したファイルを再生する方法がある。前者の方法はMagnatuneが提供するもので便利ではあるが、Magnatuneにとっては負担が大きい。後者の方法では、Magnatuneの負担するコストは殆どゼロか全くない。もっとも、RIAAのように、対価なしに曲を聴くのは窃盗行為だと言うのなら話は別だが。

Magnatuneの通信回線を使っているのだから利用者も費用を負担すべきだという主張はあながち不合理ではない。しかし、Magnatuneは、コストのかかる方法とかからない方法とを区別していない。どちらの利用者も小言幸兵衛に付き合わされる。しかも、ミラーリングやピア・ツー・ピア共有をほとんど奨励していないだけでなく、Webサイトにある曲へのリンクはすべて実体のMP3ファイルではなくプレイリスト・ファイルを指している。だから、技術に疎い利用者は必然的に聴くたびに毎回同じファイルをダウンロードすることになる。これは、別の方法もあることを明示すれば防げるはずの無駄である。このようにWebサイト自体が不要なコストを発生させている以上、通信費を回収するために小言幸兵衛をすべての利用者に押しつけるのは不当である。

通信費は、たとえば以下の方法で大幅に削減できるだろう。

  • 「ストリーミング」よりも、ファイルを一旦ダウンロードして保存する方が簡単にできるようにする
  • Magnatuneのミラー・ネットワークの構築を奨励する
  • BitTorrentの使用を奨励する。Xandrosが行っているように、HTTPダウンロードを有償にしBitTorrentは無料にするという手もある。

こうした対策を施した上でなら、プレイリストの「ストリーミング」に小言幸兵衛を付加するのはやむを得まい。Magnatuneは、その主張に相応しく、有用なサービスを提供できるだろうし、無料で小言幸兵衛なしのプレイリストを提供することさえできるかもしれない。

問題の所在

ところで、Magnatuneの小言幸兵衛が、なぜこれ程に私をいらだたせるのだろうか。小言幸兵衛が付いていても曲はすべて無料でダウンロードでき、Creative Commonsライセンスの下で利用できることに変わりはない。それに、ちょっとした知識があれば、mp3spltを使ってダウンロードしたMP3ファイルから小言幸兵衛を自動的に取り除くシェル・スクリプトを書くのは子供でもできることだ。こうした処理も、そのファイルを個人的に配布するのも完全に合法だろう。

だが、問題の核心は個人が音楽を無償で聴けるかどうかにあるのではない。Magnatuneは「試聴したら購入せよ」に従わなければ不法利用と見なすこと、そしてそのような利用を排除しようという姿勢を明確にしていることこそが問題なのである。実際、Magnatuneのビジネス・モデル、少なくとも現行のビジネス・モデルは、他のオンライン音楽配信会社と同じように、無料の流通を阻害することを前提にしているのだ。

これまで、音楽の流通は恥ずべき状態にあった。Magnatuneがそうした過去の悪弊へと後退するのなら、利用者に行使して欲しくない権利を明確に認めるライセンスの下でMP3ファイルを提供することに、なぜ固執するのだろうか。

私は自分の考えの概要をMagnatuneのフォーラムに投稿した。しかし、モデレーターの目には留まらなかったようだ。太鼓持ちの投稿は10余りも採用されていたのだが。そこで、John Buckmanに対応してくれるよう電子メールを出してみた。戻ってきた返事は「正直に申し上げますが、対応するつもりはありません。仰ることは、あなたのご意見だからです。もちろん、意見を述べるのはご自由です。しかし、ご指摘の事実についての解釈には同意いたしかねますし、それについて議論するつもりはありません」

というわけで、クリエイティブ・コモンズ(みんなで共有すべき創造的活動の所産)に対するMagnatuneの言行不一致をもたらした理由については推測することしかできない。プロプライエタリ・ソフトウェアのメーカーに「オープンソース開発モデルの力を活用する」と主張するところがあるが、Magnatuneの挙動は、それに若干類似しているのではなかろうか。Magnatuneは「オープン・ミュージック」を讃えることでメディアから圧倒的に好意的な注目を集めた。そして、目立たないようにその姿勢を変化させようという腹なのかもしれない。

Magnatuneは、クリエイティブ・コモンズ(あるいはCreative Commonsプロジェクト)の支持者の善意を利用して、受けるに値するよりも良好な評価を受けてきた。これは、コモンズにとって良いことではない。音楽にとっても良いことではない。そして、巡り巡ってMagnatuneにとっても良いことではない。こうした状況においては、クリエイティブ・コモンズに関心を持つ人、音楽に関心を持つ人、さらにはMagnatuneに関心を持つ人が為すべきことは、Magnatuneがその姿勢を元に戻すまでMagnatuneを完全ボイコットすることである。

かつてMagnatuneには比肩すべき競合他社はいなかった。しかし、今では、世界の大企業が同じルールで同じゲームに参加している。競合他社は、数えれば片手では足りないほどもあるのだ。そうした企業は競争を歓迎せず、Magnatuneを片手で握りつぶせるほどの力を持っている。非営利の利用に制約を設けていない配布にはウィルスばりの市場効果があり、それを利用しなければMagnatuneは困難な事態に陥るだろう。Eric Raymondの言をもじって言えば、Magnatuneは利用者を獲得できる、あるいは、曲の非商用利用を管理することができる。しかし、その両方を得ることはできないのである。

世界は「理解ある」レコード会社を必要としている

最近の変化を除けば、Magnatuneはあらゆる点で優れたレコード会社である。Magnatuneはアーティストをどこよりも高く処遇していると誰もが言い、アートについては文句なしの成功を収めている。

しかし、Magnatuneが旧来のビジネス・モデルへの移行を続けるなら、そうした優れた点は帳消しになるだろう。最初に掲げた理念を守り、非商用利用であれば安価で効果的に音楽を流通させることができるようにすれば、Magnatuneは、所属アーティストと彼らの高品質の音楽を聴くことを願う多くのファンとの架け橋になることができる。そうしたファンは、商用ライセンスやその他の有料サービスを提供する可能性を広げてくれるだろう。

Magnatuneはアート面での成功しただけでなく、今もビジネスで成功する可能性を持っており、音楽産業を21世紀に相応しいものにすることができる。世界は、Magnatuneが約束した「罰せられることのないインターネット音楽」を必要としているのである。

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