iCommonsとフリーカルチャーへの友好的提言

第2回iCommonsサミットが6月末にリオデジャネイロで開かれ、フリーカルチャー運動に関する多くの事実が確認された。最も刺激的な進展は、この運動への関与を自認する活動家および支持者の数とフリーライセンスにより配布されるコンテンツの数の両面において、我々が急速に成長しつつあることだ。しかし、今回のサミットでは、iCommonsが成長性および適法性を維持するために解決すべきいくつかの問題も強調された。本稿では、iCommonsコミュニティの活性化と結束を期待して友好的な提言を行いたい。

まずは、iCommonsを知らない人のために背景を説明しておこう。2001年、フリーソフトウェアの運動を一般的なカルチャーへと拡大するという考え方と各種ツールを広めるねらいでクリエイティブ・コモンズ(Creative Commons)が設立された。過去5年間におけるクリエイティブ・コモンズの成功は華々しく、昨年だけで1,000万もの作品がクリエイティブ・コモンズのライセンスのもとで公開されている(ただし、多くはブログエントリやそれに類するものである)。この急成長の裏には世界中の活動家、ハッカー、支持者、事務局員の働きがあった。ベンチャー投資家やパンクロッカーから文化大臣に至るさまざまな立場の人々が共通の利害を見いだしたのだ。各地の事務局が管轄地域向けにクリエイティブ・コモンズ・ライセンスを用意するのを支援するために、サンフランシスコに拠点を置くクリエイティブ・コモンズは、別組織ではあるが密接な関わりを持つ慈善団体として、ロンドンを拠点とするiCommonsを設立した。今やiCommonsは、支持者や活動家たちのための事実上のハブ拠点へと発展を遂げている。

iCommonsの理事会は、リオデジャネイロでのサミットの最終パネルでビジョンを明らかにした。そのビジョンには、活動中のフリーカルチャーのプロジェクトを「ノード」と表現し、そのノード間のネットワーク化を進め、各ノードの発展を支援することが提案されている。この運動の主導者であるLawrence Lessig氏は、クリエイティブ・コモンズは特定の倫理観や慣習を非難するのではなく、暗黙的な「共通の目的」を共有する人々が創造的自由のビジョンを独自の考えで展開していくことを可能にするものだ、と主張した。また、各種ツール、ポリシー案、ベストプラクティスを共有するためにiCommonsや年に一度のiSummitsを活用するプロジェクトどうしの草の根的で束縛のない協力関係を作り上げるというビジョンが示された。

立ち込める暗雲

問題は、クリエイティブ・コモンズを「相互の信頼と信用」に基づく組織にしようとするLessig氏の要求が、あまりに理想的過ぎて非民主的なことである。iCommonsがより広い範囲のフリーカルチャー運動のハブ拠点を目指すのであれば、Lessig氏も指摘しているように、たとえ我々が考えるものとは食い違ったものになっても、フリーカルチャー運動の意義を反映すべきである。

最終パネルの出席者は、デジタル著作権管理(DRM)、放送局の権利に関するWIPO条約案、オープンアクセスに関する声明3つにまとめて署名するように求められた。これらの声明は、作成者が明らかにされないままパネルが終わるまで回覧され、我々はただ声を揃えて承諾を示すように求められたに過ぎない。そこにはいくつかの問題点があった。目を通すのに十分な時間があっただろうか? 我々には声明の修正が可能だったか? これらの声明に対して誰が合法的な採決を行うのか? 出席者は、実際にはもっと広範なiCommonsのコミュニティを説明することになる声明に署名する必要があったのか? このiSummitでの採決には、多忙のため参加できなかった人々はもちろん、リオデジャネイロに来る経済的余裕のなかった人々や事務局側の不透明な手続きにより諸費用の給付を受けられなかった人々が含まれていないのではないか?

友好的な介入によって、最初の2つの声明はWiki上で適切に作成されたことが保証され、将来的にはまだ明示されていない手段によって承認されることになっている。そうでなければ、我々には隅々まで目を通し、理解し、手を加える時間がない。しかし、最終的に誰がこれらの声明の採択を認めるのだろうか? 確固たる計画はどこにもなかった。

これまでの2つの(ベルリンおよびブダペストにおける)オープンアクセス関連の声明の承認を今回のパネル出席者に委ねるという、オープンアクセスに関する声明は、何の審議もなく認められた。だが、これらの声明の内容を知っている参加者がどれほどいたのか ― 少なくとも私は知らなかった ― わからない。また、この件に関して、都合よく選ばれた理事会のメンバーを信用するように我々に求めている点は、納得がいかない。我々は、理事会、彼らの経歴、問題の声明に対する彼らの意見についてどれほど知っているというのだろうか?

それぞれの声明は、リオデジャネイロにおいて反対意見がほとんどないままにパネル出席者たちによって受け入れられた。しかし、運動が拡大するにつれ、iCommonsは非合法的で少数独裁支配による組織として見られるリスクは大きくなり、その結果、主導権および代表権を不当に主張することにもなりかねない。

統治

iCommonsはツールに関わる組織であってイデオロギーには関与しない、という考え方は単純過ぎる。iCommonsが単なる妥協の産物であって実体のないハブ拠点だったとしたら、我々は、民主的な統治を行わなくても組織をうまく存続させることができ、関係者によって明らかにされる共通の目的をめぐって草の根プロジェクトどうしが衝突したり結託するのに任せたことだろう。

しかし、年次サミットの開催、声明の採択、「国際的協調のためのプラットフォーム」としてのiCommonsの運営を始めた途端、統治上の問題が生じる。好むと好まざるに関わらず、iCommonsの理事会は、iCommonsの目指す方向がフリーカルチャー運動を代表するものとして見られることを受け入れざるを得ないのだ。

どんなフリーソフトウェア・プロジェクトにも学ぶべき点はあるのだが、ここでは、あまり官僚主義的でないKDEに注目しよう。KDEプロジェクトでのハッキングは誰もが自由に行え、フリーカルチャー運動によく似た活動の場になっている。しかし、KDEコミュニティには、統治に意味があるような問題を扱う会員制の組織がある。この組織は、コミュニティのために財務および法律の問題に対応する役員の選出を行う。役員は、何より、総会における財務記録の閲覧を要求できる。iSummitで取り上げられたような声明であれば、KDEプロジェクトの場合は、たまたまその場に居合わせた一部の人々ではなく、通常は組織全体の承認によって採択される。また、役員の資格は、KDEプロジェクトに対する公約を果たしたうえで2名の現役員の支援を受け、オンライン投票において過半数の支持を集めることによって得られる。

iCommonsにも同様の決まりを設けることは可能だ。つまり、iCommonsは、より広い範囲のフリーカルチャー運動へと活動範囲を広げてそれらの支援を続けながら、各プロジェクトにいる人々の参加を受け入れ、KDEに類似した自律的な統治機構を作り上げることができるはずである。そのためにはiCommonsの法的体制の見直しが必要かもしれないが、組織の適法性は多いに高まるだろう。

もう1つの簡単な変革は、採決にかける内容の詳細をもっと事前に確実に回覧されるようにすることである。理想を言えば、声明はサミット前にメンバーに回覧されるべきであり、内容の議論と修正にはもっと時間をかけるべきである。

iCommonsをガチガチの官僚組織に変える必要はないが、非民主的な体制にずっと安穏としていられるわけでもない。

財務

もう1つ、適法性に関わる差し迫った問題として財務の問題があるが、これは統治の問題との関連性がきわめて高い。リオデジャネイロでのiSummitには、Microsoft、Soros氏のOpen Society Institute、Googleなどの大企業がスポンサーについていた。サミットでの親密な関係の構築をあてにするこれら3つの企業は、暴動が起こるほどではないにせよ評判はよろしくなく、何かと議論の余地のある存在である。しかし、人々がただならぬ感情を抱いている組織からiCommonsが寄付金を集めていたとしたら、どうなるだろうか?

また、その寄付金がどのように使われたかを我々は尋ねるかもしれない。iSummitにはいくらの費用がかかったのだろうか? (交通費と宿泊費にあてられた)支給費はどのように分配されたのだろうか? 会場(マリオットホテル)の費用は、より多くの参加者を収容するために適切に使われたのだろうか?

ここで行う素朴な提言は、iCommonsは法律上の義務範囲を越えて(たとえば、英国の慈善事業委員会を介した年次財務報告書の発行)、公的支出についてのわかりやすいデータを公開すべきである、というものだ。会員制の仕組みが整えば、参加者は、上記の疑問に答えてくれる詳細な記録の閲覧を要求したり、不正使用を明らかにするために理事会の開催を求めることができるようになるだろう。

著作権を超えてより良い世界に目を向ける

ここまでの私の批判および提案は、草の根的な運動の先端を行く組織としてiCommonsの適法化を目指したものだった。それらが無視された場合、それでもiCommonsが発展と成功を続けることは間違いないだろうが、最低でも妥当な批判を、最悪の場合はあからさまな反対を受けることになるだろう。しかし、ここでは、iCommonsが自らの組織を、より良い世界のために活動している非政府組織のもっと幅広いコミュニティのなかに位置付けることで、その存在をより正当なものにできることについても論じてみたい。

以下に、簡単な例を示そう。今回のサミットのためにTシャツとバッグが作られた。これらの品々が国際労働機関(ILO:International Labour Organization)の協定を遵守している企業から提供されたものだとすると、我々の受け取ったTシャツが労働者からの搾取によって作られたものではないことがわかる。iCommonsは、こうした特定の倫理的基準を守るための倫理的購入のポリシーを定めることもできたのだ。その他の方法による購入は、それだけで社会的倫理に反するのだ。この運動に携わる私自身やその他の人々も含めて、数えきれないほどの組織や個人が、こうしたポリシーの策定を経験している。これは、単純に理事会を代表する考え方の問題であろう。同様のポリシーは、投資や収入の領域にもあてはまる。

これらのポリシーは、私やほかの誰かが述べているようなイデオロギー上の要求をすべて満たす必要はない。そうしたポリシーは、内容に乏しく、上で述べたようないくつかの項目を約束するだけのものになるかもしれない。しかし、ポリシーがなければ、またその内容に人々が影響を及ぼす手段がなければ、iCommonsが取り組む領域の境界には意味がなくなってしまう。倫理上のポリシーは、適法性の基礎を成すものである。

騒動を回避する

iCommonsの理事会、それにこの将来性のある組織との関わりを持つもっと広い範囲のフリーカルチャー運動は、いくつかの重要な選択を迫られている。iCommonsが情報交換と組織化を行うためだけのハブ拠点以下の存在になってしまうことを我々は願っているのだろうか? もしそうなら、iCommonsは声明を撤回してその役割を果たすツールの開発に専念すべきである。正当な手続きで選ばれていない理事会を信用し、彼らの方針に従い、統治、財務、組織化の問題に対する彼らの判断を信頼してもいいのだろうか? もしそうなら、改革など必要ない。

そうではなく、我々の情報交換および協力を支援し、我々のプロジェクトを育て、DRMやオープンアクセスのような重要な問題に対して断固とした態度をとることで、iCommonsを、フリーカルチャー運動を主導し、代表する組織にしたいとは思わないだろうか? これこそ私の思い描くiCommonsのビジョン ― より良い未来に向かって取り組む草の根運動の先駆者 ― である。基本的な統治および財務上の対策を行うことによって、iCommonsはこの役割を合法的に公言できるのだ。さらに、それだけに限定するわけではないが特に財務に関する一連の倫理上のポリシーを採用すれば、我々全員が自分たちの作り上げる未来を気持ちよく受け入れられることだろう。

iCommonsの理事会とiSummit 06の参加者、そして世界中のクリエイティブ・コモンズ・プロジェクトに関わる人々が、ここで行った提言に真剣に耳を傾けてくれることを願っている。それらについて議論する次回のサミットまでは、まだ1年ある。大きな改革を行うとしても十分な時間だろう。もっと多くの人々がiSummit 07の実行に携われるように理事会が参加者を招待すると聞き、将来は明るいと感じた。また、確かに、関係者すべてによるもっと幅広いコミュニティに対してたくさんの温かい支援が行われている。次回のサミットまでには、本稿のコメント欄で、続報記事で、皆さんのブログで、そしておそらくはiSummitのディスカッション・リストでも、これらの問題について議論を行う必要がある。創造的な自由にあふれたより良い世界のために、ぜひ皆さんの協力をお願いしたい。

Tom Chance氏は、5年前からフリーソフトウェアおよびフリーカルチャーの運動に携わっている。現在は、クリエイティブ・コモンズの世界初の地域プロジェクト、Remix Readingのリーダー役を務めるほか、Free Culture UKやKDEプロジェクトをはじめとするさまざまな活動に従事している。

NewsForge.com 原文