GPLv3 Conferenceリポート2: 自由を我等に

2006年1月17日にアメリカ・ボストンで開催された、GPLv3 Conference二日目の模様をリポートする。

初日に引き続き、二日目の様子をご報告したい。

はじめに

二日目も同じ場所で、同じ時間に開始された。この日は講演を聞くというよりも、基本的にGPLv3ドラフトのいくつかのトピックについて会場からコメントを募り、それにステージ上のパネリストが答えるというような形式の質疑応答セッションが多かったが、ほぼ満員だった昨日に比べるとやや参加者が減った印象がある。正直なところ、重要な論点についてはすでに昨日出尽くしたという感もあり、ややだれているという感は否めなかった。見た目上参加者が減ったのにはもうひとつ理由があるのだが、それについてはまた後でお話ししよう。

そういえば、この両日の参加者プロフィールについて書いていなかった。思ったより年齢層はばらけていて、下は大学の学部生レベル(筆者が会った中で一番若かったのは、初日に昼食を一緒にとったハーヴァードの学生で確か18歳)、上はそれこそ6〜70歳という古強者も多く、しかもただそこにいるというだけではなく積極的に質疑応答に参加してくるなど、人材層の幅広さと厚さが目立った。RMSと言えども無から突然出てきたわけではない。アメリカにおける「自由なソフトウェア」運動の背後には、このようにRMSと同世代あるいはやや年かさで、RMSの主張に共鳴して新たに自由なソフトウェアを支持するようになったというよりは、もとから彼と何らかの意味で感覚を共有するような相当数の人々が控えているのだろう(日本の古株のハッカーにも同じような空気を感じることがある)。自由なソフトウェアでは、かつての(いわば第一世代の)ハッカーたちが抱いていたソフトウェア観をそのまま明文化して取り戻そうとしただけだ、というRMSの言葉を思い出した。参加者の職業も、学生やプログラマはもちろん弁護士や医師、法学や情報工学以外の研究者(社会学や経済学など)と多岐に渡っていたようだ。

コミュニティ・パネル

この日最初セッションは「コミュニティ」パネルと銘打たれてはいたが、内容的には主に「ライセンスの互換性」と「ソフトウェア特許」という、GPLv3で解決すべき重要論点3つのうち2つが取り上げられるということになっていた。質問に答えるパネリストは、RMSやFSFの職員に加えてFSFEから来たヨーロッパの弁護士氏(あいにく名前を失念)である。

コミュニティ・パネルの顔ぶれ

コミュニティ・パネルの様子。左から三番目がFSFEの人

質問自体は商標の扱いや無保証性の問題など昨日の議論の続き、あるいはそもそもGPLv3における変更点とは直接関係のない一般的な質問といったものが多く、それほど新味は無かったと言わざるを得ない。ただ、結局同じところに質問が集中するというところから見て、議論を尽くして修正すべき点を洗い出すという意味では大いに意味があったのではないかと思う。FSFEの人が来ているということもあってかヨーロッパにおけるソフトウェア特許の問題についての質問が出ていたが、このあたりの事情については以前筆者が別のところで書いたものがあるので興味があればそちらを参照して頂きたい。なお、反ソフトウェア特許条項の具体的な文面に関する質問はいくつかあったが、さすがにソフトウェア特許を支持する人からの質問はなかったように記憶している。本当は、むしろそういった賛成派からの厳しいつっこみこそを期待したいところなのだが…。問題なのはソフトウェア特許そのものではなく制度の設計やその運用ではないのか、という批判は十分成り立つ可能性がある。誰かやってくれないものか。

RMS

なぜか質問者席から質問に答える御大。あれ、この服は…。

Overfiend

質問に立つBranden Robinson氏(現Debian Project Leader)

途中、GPLが契約(contract)か否かでフロアから(筆者からのも含めて)質問が集中した。初日のリポートでも指摘したように、GPLを始めとしたソフトウェア・ライセンスは契約とみなす「こともできる」。特にアメリカ以外でGPLを契約とみなすことに積極的意味があるのなら、あえて明確化しなくても良いのではないかと筆者には思えてならないのだ。この点に関しては、筆者が思っていた以上にアメリカ国内でも意見が分かれているらしく、開発者のみならずアメリカの法曹関係者と思しき人からも質問が出ていた。しばらくRMSは回答を試みていたが、最後にはあきらめて一言、「Ebenが帰ってくるのを待って(Moglen教授は別室に集められた報道関係者への対応で相変わらず忙殺されていた)彼に聞いてみないと、はっきりしたことはいえないね」。

印象に残ったエピソードをひとつ披露しておきたい。セッション開始早々ラップトップを起動した人がいたのだが、GNU/LinuxでもMacOSでも、もちろん*BSDでもない某OSのあの起動音が大音量で鳴り響いた。「あのねえ」と呆れたようにRMS。「あなたは本当に自由な世界に脱出しなければならないよ、そのために22年もやってきたんだ(GNU プロジェクトの開始は1984年)。今じゃ私たちのソフトウェアをインストールするだけで脱出できるんだし」。

世界各地における自由なソフトウェアの受容

昼食休憩に入ると、g新部裕さんやFSFのエグゼクティヴ・ディレクターPeter Brown氏から呼び出しがかかった。ヨーロッパ(FSFE)や日本(FSIJ)、ラテンアメリカ(FSFLA)といった世界各地のFLOSS推進団体の関係者を集めたコミッティーを新設したいので、午後は大会場ではなくMITのファカルティ・ラウンジに行ってほしいとのこと。ということで、午後からはそちらでの議論に加わることになった。大会場では筆者がいない間、今年度のFSF Awardの授賞式(SambaのAndrew Tridgell氏が受賞)やDRMに関する議論が行われていたはずだが、残念ながらそちらにはほとんど出席できなかったのである。このように、大会場での参加者が減ったのは、主だった人々が別の場所での個別議論に狩り出されていなくなったというせいもあるのではないか。個人的には、こういうのは複数の会議を同時並行で開催するようなもので、せっかく集めた人的リソースの分散を招いて効率が悪いと思うのだが…。

指定された部屋に行ってみると、FSFEの代表であり、日本の人にはBrave GNU Worldの著者として有名かもしれないGeorg C. F. Greve氏を始めとしてカナダやフランス、ドイツ、イタリア、アルゼンチン、ブラジル、ヴェネズエラといった様々な国々や地域の人々が集まっていた。

International Committee

International Committeeの顔ぶれ

この会議は一応非公開ということで、あまり細かい議論の内容をお伝えすることはできないのだが、そのうち何らかの形(おそらくはホワイトペーパーのような)で成果をお目にかけることができるのではないかと思う。それにしても会議に参加して驚いたのは、参加者の間の「温度差」だ。Greve氏がいみじくも言っていたが、アメリカやヨーロッパ、あるいは日本のようないわゆる経済的先進国の参加者にはどこか醒めた部分がある。自由なソフトウェアが、社会そのものの在りようを変えるとまでは思っていないことが多いのだ。おそらく、これらの国々での主な担い手が、技術者かそれに準じるいわゆる「理系」の人々であることも影響しているのだろう。

もちろんこれらの国々でも人によって考え方は様々だとは思うが、少なくとも筆者などは、現在の日本のような資本主義社会の在り方自体にそれほど疑問は抱いていない。どちらかといえば自由なソフトウェアの実際的なメリットに興味があるし、また物事を判断する上での軸もそういった有用性に置いている。筆者にとっては、単に自由なソフトウェアのほうがハックがしやすくまた成果を共有しやすいから好ましいのであり、ソフトウェア特許にしても、現状ハックの障害となるだけで中長期的にはソフトウェア産業の発展に資するところが少ない、もっと乱暴に言ってしまえば筆者にとって不都合だと思うから反対するのであって、ソフトウェア特許そのものが何らかの意味で倫理的ではないから反対する、と言われてしまうとやや感覚的にずれてしまうのである。言い換えれば、ソフトウェアの自由の追求そのものが何か社会的に善であり、自由なソフトウェアが社会的な公正・正義を実現する武器になる、とまではなかなかリアリティをもって考えられないのだ(もちろん結果的にそうなればそれはそれで喜ばしいことではあるが、少なくともそれは一義的な目標ではない)。オープンソースという転換を通過した人間としてはどうしてもそういったある意味で功利主義的な見方しかできないのだが、一方でたとえば南米では、自由なソフトウェアの推進運動は様々な社会変革の動きと密接に関係しており、近年のかの地における自由なソフトウェアへの大きな期待、高いポピュラリティと支持は、実はこういった現地の感情に深く根を張って養分を得ているらしいのである。もちろん現地でもいろいろな考えを持つ人はいるのだろうが、たとえば反米意識が強いことで有名なヴェネズエラのチャベス政権や、選挙で選ばれた社会主義政権として注目されたブラジルのルラ政権はともに公的機関における自由なソフトウェアの受容に積極的であり、こういった存在を抜きに南米での自由なソフトウェア運動を語ることは出来ない。最近南米では今挙げた以外の多くの国々でも次々と左派寄りの政権が誕生していることもあり、会議の場でもこういった政権との距離のとり方が真剣な議題になりうるのである。ちなみに、筆者は参加できるかどうか分からないが、次回のGPLv3 Conferenceは南米のどこかで開催される予定とのことだ。

こういうことを書くと、日本では昔懐かしいサヨクや市民運動の焼き直しという感じがあるだろう。筆者としても率直に言ってそういった気分は否めない。個人的には、自由なソフトウェアという概念そのものは価値中立的なものであって、右派や左派といった一定の思想党派に結び付けて考えるような風潮には極力抵抗してきたつもりだし、今後もそうし続けていきたいと考えている。そもそも南米における自由なソフトウェアの支持者は、どうも技術者というよりは社会活動家という感じの人が多いようにも思われた。ただ一応強調しておきたいのは、南米においてはピノチェトのような独裁者や腐敗した政治家がアメリカの支援を得て長年に渡って実権を握り、(経済理論的には議論の余地があるのだろうが)経済的な失政に加えて一般市民を残虐に弾圧していたという歴史があるということだ。しかもその傷は決して癒えていない。ようするに、彼らにとっては社会的・経済的な不公正や暴力は皮膚感覚のレベルでとてもリアルなことであり、そういった状況下においては「自由な」ソフトウェアというのはとても魅力的に聞こえるのだろう、ということなのである。なんにせよポピュラリティがあるというのは良いことだ。彼らの期待に背くようなことにはならないといいのだが。

一応ひと段落ついたということで、大会場に戻る。ちょうどDRMのセッションが終わろうとするところだった。個人的には(おそらくこの記事をお読みの大多数の皆さんと同様)現在の反DRM条項には問題があると考えていたので、まさにこのセッションにこそ出席して質問したかったのだが、残念ながらそれは果たせなかった。とはいえ、今後はコメントシステムやディスカッション・コミッティーを利用してどんどん意見を述べていくつもりである。

ライセンスの国際問題

二日間に及ぶ会議の最後を飾ったのは国際問題に関するパネルセッションだった。アルゼンチンからの出席者、イタリアからの出席者、ブラジルからの出席者に加えて日本のg新部裕さんがパネリストとして登壇。これはどうも午後になってから急に決まったことのようである。正直に言って会議の運営に関してFSFの段取りはどうもばたついていてよくないのだが、まあ仕方がない。

International Panel

International Panelの顔ぶれ。左からg新部氏(日本)、ブラジル代表、イタリア代表、アルゼンチン代表。

正直に白状すると、先ほどのInternational Committeeでのやや堂々巡りな気味な議論で疲労困憊していたこともあって、このセッションの内容はあまり覚えていない。本稿を書くにあたって、個人的に録音したものを聞きなおしてみたのだが、各国の著作権法事情や、各国政府の自由なソフトウェアへの関与の仕方など若干興味深い議論もあったものの、すでにそれまでのセッションで出尽くした話題が繰り返されることが多かったようである。その中で、g新部裕さんが組み込み分野における自由なソフトウェアの利用の在り方や、アジアにおける自由なソフトウェアの受容に言及していたのが注目された。そもそもアジアでは著作権意識が弱いのではないか、という指摘もあったが、実際その通りかもしれない。いずれにせよ、時間が押していたということもあってセッション自体やや短かめに切り上げられたようだ。

むすび

最後に、東西奔走して疲労困憊といった体のMoglen教授が声を枯らしつつ挨拶をし、二日間に及ぶカンファレンスもようやく幕を下ろした。挨拶の中で、「GPLv3で私たちにできることは、人々が権利を行使する手助けをすることだけだ」と語っていたのが印象に残る。日本でも、いまだにGPLはGNUやFSFのために存在すると思っている人がいる。それは違う。GPLは、皆さんの権利、皆さんの自由を守るために存在しているのである。そこを分かっていただけると、筆者としてはとてもうれしい。

初日同様、カンファレンス終了後も会場のそこかしこで活発に議論が展開されており、なかなか話は尽きない。この日の別のセッションで、Moglen教授が苦笑交じりにこう言っていた。「ソフトウェア・ライセンスについてこういう場でこれだけの人数が静かに議論するなんて、今までならとても信じられないようなことだね」。筆者も全くもって同感である。

総括

一言で言えば、今回のGPLv3 Conferenceは大成功だったと思う。日本ではどうか知らないが、海外のメディアではGPLv3改訂やこのカンファレンスに関する話題が大きく報道された。自由なソフトウェアのパブリシティを得るというのもこの会議の重要な目標のひとつだったので、それは十分に達成されたと言えよう。そもそも、自由なソフトウェアの関係者がどこかで一堂に会すということ自体今まで20年余の歴史を誇る自由なソフトウェアの歩みで絶えてなかったことである。メールなどではそれなりにやりとりがあっても、実際に会ってみるとやはり相互理解のレベルは格段に上がるものだ。それだけでも意義があったと個人的には思われてならないし、実際、会議を契機としてメーリングリストなどではより突っ込んだ議論が交わされるようになった。コメントシステムも、大して問題が生じることもなくすでに広く利用されているようだ。

筆者の正直な気持ちを言えば、現時点でのGPLv3ドラフトにはあまり関心がない。評価も控えたい。方向性がはっきりしていて、ドラフトの段階にしては悪くない出来だとは思うが、問題も多いとだけ述べておこう。

そういったことよりも、GPLv3改訂のプロセスがきちんと明文化され、しかもそれがちゃんと機能するということのほうがずっと重要だと思う。これが保証されて初めて、議論によって磨かれた良いものが出てくる「可能性」が高まると言えるのだ。筆者の見立てでは、今回のGPLv3改訂プロセスはなかなかいい線行っている。プロセスへの信頼があるからこそ、ドラフトに問題があっても今後議論を尽くしてひとつずつ問題をつぶしていけばよい、と自信を持って言い切ることができるのである。プロセスへの信頼は、単純な成果物への信頼よりも勝ると筆者は思うのだ。この意味で、まだドラフトに過ぎないものを見て早々にGPLv3に移行しないと言ってしまったLinusは先走りすぎたのではないかと個人的には思う。とはいえlkmlでの激しい議論を見るに、おそらく今後ポリシーが変わることもあろう。

個人的には、今後議論を通じGNU GPLを真の意味で「General Public License」にすることを狙って行きたい。GPLv3を、大多数の人にとって使い勝手が良く、かつきちんと法的に検討されたライセンスへと鍛えていくことができれば、わざわざ自分で一からライセンスを書かずともGPLv3で十分ということになり(SunがGPLv3採用を検討するという動きは非常に心強い)、現在一部で問題視されているようなオープンソース・ライセンスの氾濫もおそらくおのずから沈静化するだろう。最終的には、GNU GPLとBSDLあたりにライセンスが集約されてくればよいと筆者は考えている。

読者の皆さんにお願いしたいことがある。それは、FLOSSに少しでも関心があるのなら、ぜひこのGPLv3改訂プロセスになんらかの形で参加して頂きたいということだ。皆さんが日々使うソフトウェアのライセンスを、皆さんの手で変えていき、皆さんの自由をより確かなものにしていける可能性がある、というのは、非常に稀有な機会ではないだろうか。道は広く開かれた。あとは皆さん次第である。