女性のためのGNU/Linux ― 悪くないのでは?

 あちこちの女性向けメーリングリストに“女性のための女性による”ディストリビューションというアイデアが投稿されている。今のところ、このアイデアに対する反応は冷やかだ。ひょっとすると単なる釣りなのかもしれない。しかし、そのようなディストリビューションの話が進展するとすれば、それは大いにコミュニティの精神に適ったものであり、フリーソフトウェアにおけるジェンダーギャップ(男女格差)をなくす地盤と自信を女性たちに与えることになるだろう。

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 女性向けのディストリビューションを要望する声は、決して多くはないだろう。それに正直なところ、フェミニスト運動が盛んだった1990年代前半のプロジェクトのような印象を受け、この実用性を重んじる2007年にそんな活動が始まるとはあまり思えない。またおそらく、女性向けディストリビューションの主な狙いは、Edubuntuのケースのようなパッケージの取捨選択ではないだろう(場合によってはmencalのような月経周期カレンダーがデスクトップのデフォルトパネルに用意されているのかもしれないが)。偏見だと揶揄されるかもしれないが、私には女性向けのディストリビューションが2006年のエイプリルフールにSlashdotサイトで使われたようなピンク色のOMG Poniesテーマのようなものになるとは思えない。

 とはいえ、フリーソフトウェアプロジェクトは技術的なものに限らず、さまざまなきっかけから生まれている。gNewSenseによってソフトウェアの自由を拡大するディストリビューションが生成でき、Ubuntu Christian Editionによってフリーソフトウェアが宗教に採り入れられるのであれば、それを求めている人がいるからという理由だけで女性向けのディストリビューションが存在してもよいはずである。

 また、そうしたディストリビューションが一般の人々にまったく受け入れられなかったとしても、何も問題は起こらない。個人または仲間内の趣味として存在するディストリビューションはたくさんある。フリーソフトウェアの強みは、ライセンシング要件さえ満たせば誰でもそのソフトウェアを使って好きなことができることだ。ほかの誰からも了解をもらう必要はない。

 それよりも大事なのは、フリーソフトウェアの世界では女性向けの特別な場が依然として必要とされていることだ。でなければ、Debian WomenKDE WomenLinuxChixのような多くの女性向けグループが存在するはずがない。こうした団体がフリーソフトウェアに関与する女性の増加に貢献しているかどうかは議論の余地があるが、そうした場がコミュニティにすでに参加している女性たちの支えになっていることは確かである。

 この件について考えてみよう。Tim Berners-Lee氏が最近指摘したように、男性ギークたちが醸し出す雰囲気はともすれば近寄りがたいものになる。男性の私でさえ、ときどき尻込みしてしまう。というのも、大学の専攻は英文学とコミュニケーション学で、コンピュータサイエンスではなかったからだ。LinuxChixあるいはほかのどの女性グループでもいいが、そうしたメーリングリストのアーカイブを見ただけでも、ぞっとするような話が出てくる。経験と資質を兼ね備えた女性の意見が無視される、専門家の集まりに参加されば必ず言い寄られる、女性嫌いの人々から中傷を受ける、といった話がメーリングリストに延々と続いているのだ(おそらく、この記事へのコメントにもそうした実例がいくつか寄せられるだろう)。それほど読み進まないうちに不思議に思えてくるのは、不釣り合いなくらいの女性ギークの少なさではなく、怒りで自制心を失って男性の同僚たちをチェーンソーで薙ぎ払おうとした女性ギークがいないことのほうである。フリーソフトウェアが誰に対してもオープンであることを実証済みのこととして自慢気に思っている人もいるだろうが、女性たちの眼に映っているのはまったく異なる現実だ。

 私の考えでは、仮に女性向けのディストリビューションが存在すれば、その恩恵を受けるのは主としてすでにコミュニティに加わっている女性たちではないかと思っている。それは、冷やかな目で見られることや、的外れな男女差別や時と場合を考えないアプローチによって目の前の仕事に集中できなくなることを恐れることなく、女性たちがソフトウェアのパッケージングやディストリビューションのテスト方法を学べる場になるはずだ。

 もちろん別のディストリビューションに携わっていても、女性たちは同様のスキルを習得できるだろうし、(たとえ男性でも)能力に応じた扱いをしてくれる師匠が見つかるかもしれない。だが、小さなプロジェクトで働くことと大きなプロジェクトで働くことには、コンサルタントになるかサラリーマン(この場合はサラリーウーマン)になるかくらいの違いがある。小さなプロジェクトのメンバーは、コンサルタントと同じように、多くのことを短期間で学ばなければならない。また、小さなプロジェクトのメンバーは早いうちから責任のある仕事を任されるが、大きなプロジェクトのメンバーは、サラリーウーマンのように、おそらく最初は重要でない作業や補助的役割にまわされるだろう。小さなプロジェクトで働くことで、能力と自信を短期間で身に付けることができるのだ。こうした観点から、女性向けのディストリビューションはフリーソフトウェアにおけるジェンダーギャップを埋める近道になる可能性がある。たとえコミュニティに関心を持つ女性が増えることはなくても、すでにコミュニティにいる女性はスキルを磨く場を得ることができるだろう。

 また、女性向けディストリビューションには、まだ誰も知らないほかのメリットがないとも限らない。女性が男性ほど攻撃的ではなく、男性とはまた違った人付き合いをするという考え方を、私はあまり信用していない。とはいえ、フリーソフトウェアに関する女性向けメーリングリストの常連の多くが、一般のメーリングリストの標準的な投稿者よりも丁重で親切なことは認めざるを得ない。もしかすると、女性向けディストリビューションはDebianと同じくらい民主的で、それでいて控えめで礼儀正しい統治形態を生み出すかもしれない。また、彼女たちの他人の支援を重んじる態度は、従来よりもドキュメントの作成とユーザにとっての使用感を重視する方針へとつながる可能性もある。さらに、女性向けディストリビューションが、ほかのフリーソフトウェア・コミュニティの人々に対して組織に関する新たな知見をもたらす可能性もある。

 あるいは、女性向けディストリビューションはこれらのいずれの影響も与えないかもしれない。しかし、やってみたいと思う女性が十分に集まれば、試してみる価値はありそうだ。私としては、そうした試みがことごとく成功することを願っている。

Bruce Byfieldは、Linux.comとIT Manager’s Journalに定期的に寄稿しているコンピュータジャーナリスト。

linux.com 原文