女性専用Linuxディストリビューションの構築? 意欲は買いますが、余計なお世話です

 どうやら“女性にでも扱えるLinuxディストリビューションを構築しよう”なる構想が再燃をし始めているようである。ちょっと待ってもらいたい。いくらなんでも私たち女性陣は、そこまでの技術オンチではないだろう? よって本稿では、そうした特性バージョンLinuxの構築がいかに無意味な行為であるかを解説することにする。

 なお本稿に関連した話題として、「女性のためのGNU/Linux ― 悪くないのでは?」も参照して頂きたい。

 私たち女性は人類の半数を占めている以上、その点で少数派であろうはずがない。ところが、IT分野における労働人口ではその20%から30%を占めているに過ぎず、こうした数字にはかなりの地域差があることを割り引いても、この分野において女性は立派な少数派に属することになる。そして現在こうしたトピックが、IT関連の女性労働者が多く参加しているメーリングリストにおいて白熱した議論を巻き起こしており、多くの人々が、コンピュータサイエンス関連産業における女性人口の少なさは是正すべき問題だと捉えているのだ。そうした主張においては、女性達は若い頃からその両親、同級生、教師達からコンピュータ産業は“オタク”連中が支配している領域であり、健全な女性が立ち入るべきではないと諭されていることが、こうした不均衡の原因だとされている。

 これら評論家諸氏の語るところに耳を傾けるとすれば、技術者になりたいという意欲を持った女生徒も多くいるのに、彼女達は社会学やヘルスケアなどのサービス分野に向かうことを半ば強制されているのだと信じたくなるところである。また一部の人間は、その中でも最悪のケースが台所につながれた専業主婦として生きるよう強制されることであり、そもそも正常な判断力のある人間であれば誰が好き好んで自らを従属的立場に置いて、次世代の指導者を育成するという名目の下にわがまま勝手な子供の世話をするという苦役を無報酬で引き受けるのか、という主張を展開している。そうした不幸な境遇に置かれた女の子が目指すのは、論理的な思考の下で仕事を生き甲斐として積極的な人生を送る男性と同等の地位に立つことのはずだが、周囲の人間はそうした本来の欲求を抑制させて、世間体と育児のみに意識を支配された感情的な存在となるように女性達を仕向けているのであり、これはもはや犯罪行為と見なすべきだというのだ。さて、少し話題が脱線しすぎたようである。

 仮にIT業界における女性人口の少なさが是正すべき問題であるとして、その対策に“女性専用Linuxディストリビューション”の構築は必要であろうか? 私はそうは思わない。女性陣がIT産業への参加を望むとしても、なぜにわざわざ両性間の違いを意識させるような行為に走らなければならないのだろうか? IT業界で働く男性と同じだけの適性や意欲が女性にもあることを示したいのであれば、女性専用のLinuxフレーバを作ることに何の意味もないはずだ。

 また仮にその種のディストリビューションを構築するとして、いったい何を取り込めばいいと言うのだろうか? それがピンクの蝶々が飛び交うテーマやショッピング用の計算機だとすれば、かえって女性蔑視を助長するようにしか聞こえない。そうした点を踏まえてLinuxの女性専用版に何を取り込むべきかを再度問い直してみると、考えれば考えるほど、この質問自体の本質的な不毛さを思い知らされることになる。むしろ、IT業界に女性は不要と心の底から信じている男性陣がいるとすれば、こうした構想自身が女性分離政策を目論んでそうした一派が打ち出した計画のように感じられてならない。「お嬢ちゃんたちがプログラマごっこをして遊んでいるが、あの娘達はスターバックスのオリジナルアイコンでも作る気かな」といった嘲りの声が聞こえてくるようである。

 またその一方で、女性専用ディストリビューションを推進する意義は、女性達にカスタム版Linuxの作製に参加する機会を提供することだと論ずる人々もいるようである。しかしこうした主張の背後にあるのも、ディストリビューション開発から女性達は排除されているが、機会さえ与えられれば夢中でコード開発に取り組む女性は多数存在するはずであろうし、必要なのは誰かが門戸を開いてそのための許可を与えることであり、女性向きデザインのGUI開発に招待することであるというレベルの思考でしかない。要は、女性というのは内気で気弱な生き物なので、誰かがお膳立てをしなければ、進んで男性社会に飛び込もうとはしないという発想である。

 ところがIT業界の外で活動している女性達は、そんじょそこらの男性連中よりもよほどハイテクに精通しているものであり、実際そうした人々を私は多数知っている。当然のことながら彼女たちはインターネットおよび関連したハイテク機器を使いこなしており、既に電子メールが日常的なコミュニケーション手段となっているのに対して、彼女たちの亭主やボーイフレンドあるいは父親や男兄弟達は未だ従来型の電話を使い続け、自分一人ではコンピュータの起動操作すらままならない状態に取り残されているというケースが多い。またリサーチ企業Nielsenの調査によると、インターネットのユーザ数では女性の比率の方が高く、男性より高額の資金をテクノロジ関係の支出にまわしているのだそうだ。つまりコンピュータを生活の糧にしている女性人口が少ないことは、そうしたテクノロジを理解して使いこなす能力において女は劣っていることの証明には必ずしもならないのである。

 女性専用のLinuxディストリビューションを作ってみせれば、自分達にも扱えるLinuxが登場したことで喜びを持って迎え入れられるであろうという発想は、女性に対する偏見を何ら改善するものではない。専用Linuxなどという代物を必要とするのは、USBキーの信奉者や本当に宗教上の制限を課せられている人々であろう。熱意だけは評価するにしろ、わざわざ女性用を謳ってそんなものを作る必要はないのだ。

Tina Gaspersonは1998年よりフリーランスのライターとして活動中で、主要な業界紙にビジネスおよびテクノロジ関連の記事を執筆している。

linux.com 原文