Rubyは 「ブレイク直前のLinux」なのか...

「ブレイク直前のLinux」を思い起こさせるRubyのマグマ

記事の内容自体は悪くないと思うし、Rubyはもっと露出されるべきと 思ってるのだが、記事をぱっと見ていきなり気持ち悪さを感じた。 この気持ち悪さがどこから出るのか考えたが、 記事のタイトルを含む冒頭部と記事の置かれている場所によるものかと 思う。

場所については、この手の記事は日経BPのITproじゃなくてNIKKEI.NETにでも 載せたほうがいいんじゃね、と素直に思ってしまうことだが、もう 一点は「ブレイク直前のLinux」とRubyを表現していることだろう。

「ブレイク直前」とは具体的にどの時期を指しているのか記事では不明瞭だが、 「記者が最初にビジネス用途のソフトウエアとしてLinuxを意識したのは米 Netscape CommuncationsがLinuxをサポートする方針を明らかにした時だった」 と直後に書かれていることから、1998年のコード公開以前かそのあたりのことだと 思うが、その頃のLinuxとRubyを比較するのはRubyが可哀想でならない。

97年あたりから2000年までのLinuxというキーワードは、末期の狂乱ITバブル を支え、終末を共に迎えたキーワードでもある。Linuxという錬金術を御旗に 掲げた新興ベンチャーの屍が重なり、多くの優秀な開発コミュニティメンバー がレイオフ、破産の憂き目にあった。日本ではこのような事実はさして認識 されていなかったと思うが、この頃の私は日本ではこのような状態には させないという勝手な使命感をもって活動していた。

そのような意識からすれば、Rubyと当時のLinuxを同一視する ような記述には気持ち悪さを感じてしまうのだろう。私からすれば、 今のRubyはこの10年間、市場も含めて着実に歩みを進めていると考えている。 当時のLinuxが起こしたブレイクは起こしてほしくないものだ。